どこかのひとり

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ゴミと思った今昔

久しぶりに自分をゴミだと思った時に、既視感よりも新鮮さを感じたのは、新たな切り口で自分のゴミ具合を発見したからだろう。

この場合、同じ失敗をするより、どうしようもねえな感が強いと知れた。

 

以前、自分のゴミ具合を感じると「周囲に迷惑を振りまかないように、やれることはやって必要以上に関わらないようにしよう」「生きるのやめよ」と思ったものだが、結局は自分を肯定してくれそうな人間にもたれかかっていた。今回は同じ轍を踏まないように、という意識があるだけ少しは前進したと思いたい。どこも切ってないし。

 

ならば、今はどうするのか。憂鬱に沈むのではなく、誰かにもたれて逃げるのでもなく、自分のゴミさ具合に向き合ってなんとかするしかない。

なんとかってなんだ、と思ったりするがそこから考えなければいけない。

「出来る限り、だれとも関わらずに」なんて実行できなかった方法を取ろうとしたのは、安易さに流れた結果なのだから、少なくともそちらに流れてはいけない。

 

いままでに何度か生きないとか、関わらないとか、自罰だとか、極端な方向を選んでできなかったりよくない結果になったお陰で、もうそういうのはいい加減やめようや、といううんざり感が今はある。

 

また、今回はちゃんとカウンセリングに通っているわけなので、そこで相談するという手もある。

 

なんだ、それなりに色々準備はあるんじゃないか、と一瞬思ったりしたが、積み上げた事柄に対するあまりのコストの高さにやっぱりゴミだなぁと思った。

でも、まだ生きるんだよなあ。

 

とりあえず、今回は自問自答以外の選択肢があることに大変期待が持てたので、自分をゴミと思った時の為に、カウンセリングに行っておくことはおススメです。