どこかのひとり

思ったことがあれば更新します。

個人的正義を杖にする

私は愛されるに値しない。

愛されるための努力どころか、人並みのことすら満足に出来ていない。

そう思うのに決別することも出来ない。優柔不断がまた迷惑を振りまく。

いっそのこと、いなくなった方がマシな生き物だ。

 

こんな思考に陥って、とまらない時がある。

そのまま死んでしまう訳にもいかないので、そういう時はいますぐその場で自分の価値を信じなければいけない。

 

そのために、私は何かしらを作る作業をする。または作っていることを思い出す(仕事とか)

 

私にとって、絶対に価値があり尊いと思える行為の一つが「作る」ことだから。

自分は死んだ方がマシなクズだと思えて仕方がない時は「けれど、何か作っている間だけは生きるに値する」と頭の中で繰り返し呟く。

 

昔から手芸やら短編小説をやら作ることが好きだったことから始まり、それらにコンプレックスが添加されていつしか「作ることは正しく、消費するのみは悪」といった飛躍した価値観を持つようになった。

その価値観は極論であると、ある程度俯瞰してみてはいるが、自分がどうしようもなくダメに思える時、あえてこの価値観に頼っている。

 

作ることは正義だから、その行為を続ける限りは、死や存在を消すような選択をしなくて良いと思える。そのために私は仕事をするし、趣味を持つ。

 

何も作っていない人は悪だとか無価値だと言うつもりはない。ただ私は、何も生み出さない私の存在を許せないだけだ。

 

自分の行いが正義だと確信を持つことほど気持ちの良いことはないから。

正義を振りかざすことは危険が伴うけれど(悪いことではない)、いざという時に痛みを和らげる医療用のモルヒネのような使い方くらいは自分に許したい