どこかのひとり

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自分の煩雑さとまだ見ぬ怒られへ怯える

今年の1月から会社を休職している。それはさておき、今日考えたことを綴っていきます。

 

私の悩みは、物事をやり過ぎてしまった場合に、発生するという傾向があるように思う。

 

終わらない仕事は自身の心身が病むまで取り組み、酒は帰宅後に嘔吐か自失するまで飲み、人との会話では自己を開陳し過ぎて相手を戸惑わせ自身は恥をかく。

これらの失敗は、どれも致命的という程のものではないが、累積して私を苦しめることがある。

 

私の心が弱った時、累積した失敗達が私は非常に迷惑で面倒な存在だと、私に突きつけてくる。

私はその自分の煩雑さに圧倒されて、これはもうさっぱりと無くしてしまった方が、私の周囲もスッキリして良いのではないか、と思えてくる。

しかし、いなくなるという選択肢を取らない方針であるため、この考えに囚われていると、私は私の嫌悪する煩雑な存在のまま、未熟で居続けることになる。

自死に対する空想を捨て、嫌悪する存在から抜け出さなくてはいけない。

それに必要なのは、なぜ上記のような行動を取ってしまうのか分析し、防止策を立てることだ。

 

自己を分析して動機を探ることは正直億劫ではあるが、やらなくてはいけない。

なにか参考になる本を探して書いたい。昔はそういう方法でやっていた。

 

もしここで、自身の問題点を無視して生き続けた場合、私はどこかで誰かに怒られたり、知らない間に友人知人が去って行ったりするのだろう。それが怖くて、私は自身の問題点を分析し、対応策を練ろうとしている。

しかし、それはちゃんと効果があるだろうか。

人とのコミュニケーションの取り方が問題だとして、「人との話し方」のようなマニュアル本を買うのか?それで、解決できるのだろうか。

分析は出来ても、改善まで繋げられる自信はない。

自身の行動だけで、改善出来るものだろうか。誰かから、厳しい指摘を受ける事でしか、治せない部分をあるなではないかと、私は怯えている。

 

睡眠導入剤が効いてきたため、本日はここまでとする。うつらうつらしながら書き始めたので、おかしな箇所があるかも知らないが、終わりとする。