どこかのひとり

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自由な行い(自傷再発)

久々にカッターで引っかき傷を作った。

靴下で隠れる位置なので、誰にも見られる心配はない。

数ヶ月なんとか堪えてきたことをやってしまうのかという葛藤はあったが、これは私が私だけのために勝手にやることだと思うと、それはとても自由な行為のように思えた。

 

私は自由を行使して、実感した、と少し心が晴れた。

 

誰かに愛されたいから、嫌われたくないからする行為でない。

私が、私のために、私の意思で選び取った行動だ。

これが出来る限り、私の力ではどうにもならない他人の感情や意思に怯えることはない。

 

でもそれは、怯えた心を自傷で鈍らせているからで、誤魔化しの自由でしか無いことは分かっている。

半年話を聞いてくれたカウンセラーの行為を踏みにじる行為かもしれない

 

引いた刃は大した傷も作らず、一週間たった今はわずかにかさぶたを残すのみで少しかゆい。

個人的正義を杖にする

私は愛されるに値しない。

愛されるための努力どころか、人並みのことすら満足に出来ていない。

そう思うのに決別することも出来ない。優柔不断がまた迷惑を振りまく。

いっそのこと、いなくなった方がマシな生き物だ。

 

こんな思考に陥って、とまらない時がある。

そのまま死んでしまう訳にもいかないので、そういう時はいますぐその場で自分の価値を信じなければいけない。

 

そのために、私は何かしらを作る作業をする。または作っていることを思い出す(仕事とか)

 

私にとって、絶対に価値があり尊いと思える行為の一つが「作る」ことだから。

自分は死んだ方がマシなクズだと思えて仕方がない時は「けれど、何か作っている間だけは生きるに値する」と頭の中で繰り返し呟く。

 

昔から手芸やら短編小説をやら作ることが好きだったことから始まり、それらにコンプレックスが添加されていつしか「作ることは正しく、消費するのみは悪」といった飛躍した価値観を持つようになった。

その価値観は極論であると、ある程度俯瞰してみてはいるが、自分がどうしようもなくダメに思える時、あえてこの価値観に頼っている。

 

作ることは正義だから、その行為を続ける限りは、死や存在を消すような選択をしなくて良いと思える。そのために私は仕事をするし、趣味を持つ。

 

何も作っていない人は悪だとか無価値だと言うつもりはない。ただ私は、何も生み出さない私の存在を許せないだけだ。

 

自分の行いが正義だと確信を持つことほど気持ちの良いことはないから。

正義を振りかざすことは危険が伴うけれど(悪いことではない)、いざという時に痛みを和らげる医療用のモルヒネのような使い方くらいは自分に許したい

 

リスカの代わりにゴムパッチン

今年の春からカウンセリングに通っている。

人間関係において失敗することが多く、自分の精神的な不足をこれ以上放置してはいけないと思ったからだ。

ストレスに対する対処法や、気持ちの伝え方などをカウンセリングを通して教えてもらうのは、新たな道具の使い方を教わるようで新鮮だった。つい最近まではそれらの真新しいものや、周囲の人のおかげもあって、数年前から断続的に続いてきた軽微な自傷行為(カッターで皮膚を浅く傷つける程度)もしなかった。

けれど、夏から秋に変わる頃に足首を軽く切った。今はその傷は痕にもならずきれいに消えている。

 

私が皮膚を切るのは、いつも周りからは見えない場所で、深い傷にはしない。(数年前のものは、薄っすらと残っていることもある)

それは私が自傷をする理由が、高ぶった感情を落ち着けるためだからだ。

不安の原因は確かめようもなく、一晩中そのことを考えて過ごすのは耐えられない。

自傷の痛みは、その感情に一旦の区切りを付けてくれる。

終業のベルのようなもので、その後は不安を一旦置いておくことが出来るようになる。

秋口に切ったのも、こういう効果が欲しかったからだ。

 

今、また切りたい気持ちが私にはある。

一度、もう大丈夫なんじゃないか、と思ったが再び自傷欲求を持ち、「治った」とは平常であることをずっと続けていくことなのだと思った。

私は今だって、平日は出社しているし、食事も十分摂れている。普通の会社員だ。しかしコミュニケーションは下手であり、たまに自傷を必要とする。

自傷をする原因は、根本から取り除けるものなのだろうか?今の私にはそれが途方もないものに思える。明日はわからない。調子よくなんとかなると思っているかもしれない。

 

とにかく私が欲しいのは、辛い気持ちである時を乗り切るための方法だ。

自傷以外である方がいい。最有力候補は薬によるコントロールだ。

前回の自傷の直後もそう考え、カウンセリングではなくメンタルクリニックに行ってみた。

親切な医師と少し話し、一応といって一日分だけ処方箋をもらった。

その薬はまだ受け取ってすらいないが、効果によっては複数日分ほしいと思う。

自傷の代わりに薬を使い続けて行く状態は「治った」とは言えなくても、自傷を続けていくよりマシだというのなら、私は一旦その状態になりたい。

そしてその状態が一生続くとしても、それでいいとしたい。

もしかしたら薬物耐性とかで、長期的に続けていくのは無理なのかもしれないが、完全に自分の力で、あの不安で捨て鉢な気持ちを一旦置いておけるようになれというのは、私には出来る気がしない。

眼鏡で視力を矯正するように、薬によるコントロールも当然な行為と捉えたい。

使用経験の無い身で言うのも変なので、明日薬局に行ってまずは処方を受けることにする。

 

ちなみに今回は輪ゴムによる代替行為で落ち着いたので、切らずに済みそうだ。

意外に効くので、自傷に悩んている方は手足を輪ゴムに通してパチンとやってみる方法を試して欲しい。